妙なニュースが流れている。
沖縄集団自決について、
旧帝国陸軍による強制があった
ということを裁判所が認定したというのだ。
知らん人も多いと思うから書いておくけれど、
裁判所はすべての『訴え』を裁けるわけではない。
『訴え』に含まれる様々な問題を
法律的観点から整理し法を適用するのが裁判所の仕事だ。
裁判所が扱える事件というのは法律で決められていて、
法的判断が行えない『訴え』は棄却しなくてはいけないことになっている。
扱える事件の内容をサックリと説明すると下記の2大分類になる。、
- 刑事事件 ・・・ 該当犯罪行為に適用される刑の内容で時効期間が定まる。
死刑にあたる犯罪の場合が最長で、MAX15年。
- 民事事件 ・・・ 犯罪にはあたらないような権利侵害をあらそう場合。
物件所有権の取得時効20年というのが最長だったはず。
時効成立済み事件の審理は当然できない。
60年前の戦争について現在の裁判所が何らかの判断を下すってのは
普通に考えるとかなり不審なシチュエーションだといえる。。。
一応、詳しく判決内容を見てみた。。。(⇒沖縄タイムス該当記事)
ざっと見た感じ、出版物での名誉毀損有無を普通に判断しているだけだから、
この裁判はおそらく法的に問題ないんだろう…。
(60年前の集団自決に軍が関与したかを直接裁判にかけたら、結果の如何を問わず裁判の効果は無効になる⇒裁判所が判決を下せない案件だから。)
(訴えの内容) 原告に対する名誉毀損表現(『沖縄ノート』)の撤回・修正
(被告) 大江健三郎 ・・・ ノーベル賞作家、『沖縄ノート』著者
(原告) 旧日本陸軍士官 ・・・ 集団自決当時のどっかの守備隊長
で、判決は原告の訴えを認めないってことらしい。
判決理由を読んでみると内容が細かく書いてある。
根拠になっている部分は次の2点だ。
- 『沖縄ノート』には原告(梅沢氏)を直接特定する記述がない。
他の出版物から特定できるにしても『沖縄ノート』からだけでは無理だ、と言っている。
>(追記)判決文で『特定できる』と書いてた。ミスリードm(。。)m
特定性がないという被告の主張は認められない、という紛らわしい記述。。。_| ̄|○
- 『沖縄ノート』の執筆目的は公共性の高いものである。
個人の人権は、公共の福祉を図る目的で制限される場合がある。
ぶっちゃけた言い方をすれば、原告個人の名誉よりも『沖縄ノート』の出版を差し止めないことによる利益の方が大きいってことを認定したわけだ。
一応、証言やら文献やらを集めて『沖縄ノート』の該当部分について
妥当性の検証も行っているようだ。
いくら目的がアレでもウソはいかんよ、ということ。当然だ。
根拠の2つ目のところで、軍の深い関与があったと認めざるを得ないと言っている。
マスコミが騒いでいるのはどうもその一文についてってことだな、と。。。
法を適用するために、集められる限りの証拠を集めて判断した結果だ。
基本的に判断の内容は間違っていないと思う。
判決理由に記載されている内容だけを提示されたら、
オイラでも『軍の関与は否定できんナ』と言うだろう。
- 当時渡嘉敷・座間味島への補給は断たれていた
- 集団自決には手榴弾(=軍の貴重な戦力)が使われた
- 軍が駐屯していない地域では集団自決行動は一切起きなかった
沖縄の集団自決って『絶壁ダイブ』じゃなかったのかな、
とオイラは思ったわけだけど違うのか・・・。
Webで公開されている資料をあちこち見て回った感想からすると、
『集団自決』の一言で片付けられている住民の自殺事件はかなり多様らしい。
沖縄ってのは地図で見ると小さいが実際はかなり広い。
住民だってそれなりにたくさん住んでいる。
同じように『集団自決』として扱っている沢山の事件も、
本当のところ全く別の事件なのではないだろうか、とふと思った。
要するに、軍の関与があった事件となかった事件があるだろうってことだ。
軍の関与っつったって『強い関与』があった事件と
そうでない事件があるだろうってことだ。
今回大阪地裁が『軍の強い関与があった』としたことについて
オイラは当初深い疑念を抱いた。
疑念の中核は投稿の冒頭で書いていることで、
そもそも裁判所が60年前の事件の事実関係を認定してよいのか?
ということが激しくギモンだったわけだ。
判決趣旨を読んだら『そのギモン』は解決した。
判断は一応、間違ってなさそうだ。
しかし、新たに疑念を抱いた部分がある。。。
要するに『集団自決』というのは1つの事件じゃないってことだ。
1つの事件を語るならば1対1で結論を出すのが良いだろう。
『集団自決』という通称で扱われる事件は1つではない。
1つ1つ別々の事件であるはずの『集団自決』を、
あたかも1つの事件であるかのように語っている不自然さに、今更気付いた。
『集団自決』といいながらただの一家心中だったりとか、
『集団自決』といいながら軍による住民惨殺だったりとか、
『集団自決』といいながら武器弾薬庫の誤爆事故だったりとか。。。
60年前の戦争で終わったことである。
基本的にはとっとと忘れるのが精神的には健康だと思う。
もし、気になるなら早いうちにケリをつけないといけない。(じゃないと当事者が逝く。。。
そのためには各集団自決を個別案件として他のケースと完全に切り離す必要がある。
出回っている資料を見る限り、
すべての『集団自決』に軍の関与はなかったと証明することは不可能だと思う。
小さいところに絞ってやれば少なくとも
『オレは言ってない』を証明できるメはあるだろうに、
双方の弁護団が政治的なせいか欲張り過ぎていた感がある。
当時、現地住民から召集した防衛隊なるものがあったらしい。
防衛隊に志願できる連中がいた、
って時点でオイラの知ってる『集団自決』とは違うな、と。
基本的に非戦闘員である防衛隊員を、
少しでも使える戦力にするために手榴弾を支給していた
という事実があったらしい。
判決の根拠には『集団自決の当日に兵卒が手榴弾を持ち出したのを容認』とある。
手榴弾の配布目的が『自決を促すため』であったなら、
手榴弾持ち出し容認=集団自決命令存在の推定根拠になる
でイイと思う。
しかし、持ち出し目的が違うなら話しは別だ。
弾薬の扱い方を理解してない素人に対して、
このピン抜いたら爆発するし、
米兵上がってきたら死んどいてね♪
などとやるはずがないだろう、という。。。
手榴弾を支給したのが使えない民間人の補強のためなら、
組織済の防衛隊(=非正規軍)への遅れた弾薬供給として正当だ。
一番のギモンは、自決を指示したはずの隊長が生きてるってことなんだよな、という。
皇国万歳!で皆死のうよだった人が自分は死なない、なんてことがあるのか、という。
裁判の議題に上がった地域の集団自決者の総数は500人未満らしい。
民間人500人程度、無傷で殲滅できない小隊が戦力として使えるのか、というギモン。
自決命令が出ていてかつ、弾薬節約を考えたとしたら、
部隊として民間人殲滅を実行したほうが手榴弾配るより効率的だと思う。。。
ちなみにオイラが隊長だったらそっちをやる。
原告の隊長がそれをやんなかったのは
命令がなかったかそこまでの外道になれなかったっつーことだろう。
欲張り過ぎなんだよ、みんな…とオイラは思う。
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